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1939年にクイーンズのフラッシングにあるメドウズコロナパークで開催されたニューヨーク万博には世界中のさまざまな国がパビリオンを出展した。日本館は神社を模して造られ、その周囲は日本庭園に囲まれていた。ニューヨークタイムズの記事によると日本館ではキッズフェアも開催され、訪れた子供たちはプレゼントをもらうことができた。男の子は日本の凧あるいは帽子をもらえ、女の子は日本人形をもらえた。 それぞれの写真で最前列にいるのがクワシマ・マリエである。クワシマは日本人移民の娘として1897年11月27日に生まれた。聖ミカエル教会で行われた彼女の結婚式は、シカゴで初めて行われたカトリック教会での日本人夫婦の結婚式として新聞の一面を飾った(写真)。夫婦はミヨとテルオの二人の子供に恵まれて1937年にニュージャージーのイースト・オレンジへ引っ越した。しかし、夫婦関係の破綻とそれに伴う経済的困窮により、1939年には子供たちを聖ミカエル教会が手助けしている養子縁組へと出さざるを得なくなった。職を探す中で、ニューヨークへ引っ越し、日本茶の店での仕事に就くことができ、それはやがて日本館での仕事につながることになった。フェアでの収入によって彼女は13才となったミヨと再び暮らせるようになった。フェアの後、マンハッタンで日本企業のタイピストとしての職に就くことができてシカゴのエンジェル・ガーディアン孤児院からテルオを引き取ることができた。
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